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Classic Farm

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「次代の稲」

 平成16年の夏は猛暑でした。稲の生育は早く、農水省発表の9月の作況指数は全国平均で101でした。ところが秋雨前線の活発な活動と度重なる超大型台風の上陸で、最終的な作柄は98に落ち、二年連続の平均割れとなりました。九州周辺では90を割り込む県が目立ちました。

 超人気のコシヒカリは台風をはじめ災害に対して脆弱です。ほかの奨励品種も天候の影響で軒並み、収量と品質を落とし、倒伏して泥に埋もれ収穫を諦めた水田さえあるなかで、一人気を吐いている稲の品種がありました。平成の御代替わりに伊勢の神宮の神田で発見された「お伊勢さんの稲」イセヒカリです。

 元山口県農試場長で、イセヒカリの原種保存に取り組んできた山口イセヒカリ会(事務局=山口県神社庁内)の岩瀬平代表は、「台風のあと下関周辺の水田で立っているのはイセヒカリだけでした。全国でも同様でしょう。見事というほかはありません」と語りました。


伊勢神宮が生んだ未登録米
 平成元年秋に、本来は「神様に捧げる米」を作る神宮神田で発見されたのも台風一過の朝でした。一面に倒伏するコシヒカリの圃場の中央に直立し、稔るほど黄金色に輝きました。その後の試験栽培で、味はコシヒカリをしのぎ、反収は十俵を超え、耐倒伏性に優れ、病害虫にも強いなど、驚異の特性を持っていることが判明します。神宮ではちょうど10年前の8年、「聖寿無窮を祈念し、皇大神宮御鎮座二千年を記念」して「イセヒカリ」と命名し、全国各地の神社に種籾の下賜を認めました。

 イセヒカリの大きな特徴はこの際だった耐倒伏性で、このため台風禍に泣いた16秋来、イセヒカリ会会員で採取圃を兼ねる全国の農家には種籾提供の照会が引きも切りません。機械化一貫体系のもとにある日本の稲作では「倒れない」は稲品種の基本的条件で、最大瞬間風速50メートルを超える、穂がちぎれるほどの台風にも平然と堪えた稲は否が応でも一般農家の目を引きました。

 そればかりではありません。畜産農家からは「刈り入れを手伝わせてくれないか」と声がかかります。きわめてまれなことにウンカ耐性を持つため、害虫防除は最小限ですみ、安全な藁ができます。しかも藁重が多いのです。食用だけでなく飼料にも適し、生産調整の要らない多用途米は、稲作と畜産との連携、将来の構造改善を担える可能性を示唆しています。

 醸造家は、コシヒカリ並みの少肥栽培で作れば蛋白含量の低い酒造好適米となることに注目し、山口では名だたる蔵元六社が純米酒造りに取り組んでいます。「食べてよし、呑んでまたよし」の米はほかにありません。

 硬質米でパエリャやリゾットの材料に向くことから、国内のみならず、世界の市場で通用するという指摘もあります。高齢化した農家の稲作にも大規模経営にも対応できることは、各地の米作り名人が立証しています。

 いいことずくめの新品種ですが登録品種ではありません。神宮は「大神様から頂戴した稲なので、謹んで作ってほしい。品種の登録はしない」との姿勢で一貫しています。祭祀の厳修を第一義とする神宮としては当然ですが、品種登録のない稲は公が認める資格に欠けている、と一般には見なされてしまいます。このため現状では自家用縁故米として社会に受け入れられ、広まっています。

 明治以来、戦後はなおのこと、日本の米は「官」独占の生産システム下におかれています。品種改良は公的機関が一手に掌握してきました。品種登録、奨励品種決定、種子生産流通に民間が口を挟む余地はありません。

 神宮神田生まれのイセヒカリはこの制度の枠外にあります。いかに優れた形質を備えているとはいえ、行政には積極的に公認しようという姿勢は見られません。というより、登録品種でないために公が正規に対応しうる前提がないのです。発見から15年あまり、そして種籾の下賜から10年、栽培が広範囲に広がった最近になって、ようやく公的機関が価値を認め、試験栽培に着手する動きが出てきました。

「卓越した稲を埋もれさせるのは惜しい」。公的機関に代わって、イセヒカリの系統選抜、品種固定、原種保存、種籾生産という困難な仕事に取り組んできたのが岩瀬氏らでした。

 12年にはイセヒカリの健全普及を目的に、山口県神社庁内に篤農家をメンバーとする山口イセヒカリ会が設立されました。8年間の苦労の末、専門家の眼鏡にかなう純系の固定化選抜が達成され、8系統に選抜されたうちの系統番号2号(イセヒカリ二号)を「イセヒカリ」の原種とすることを神宮も了承し、山口県神社庁は「100年分の原種の種籾を保管する体制」を整え、同県青年神職会は組織をあげて、種籾生産および神宮奉納の事業を開始させています。


日本の稲作の「救世主」か
「DNA考古学」の開拓者で、16年に「浜田青陵賞」を受賞した京都・総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)はイセヒカリを「未来の稲」と評価しています。佐藤氏の監修で、紀伊國屋書店が16年に制作した教育ビデオ「稲の歴史」はイセヒカリを大きく取り上げ、「その出現は日本の稲作の新たな時代を告げるものであり、稲作の危機を救う期待を担っている」とまとめています。

 佐藤氏は「コシヒカリ一辺倒」といわれるほどに品種が単一化し、栽培が画一化した日本の稲作に警鐘を鳴らしています。米の品種は明治初期には4000を超えていたといわれ、土地に特有の米や農家独自の品種がありました。けれども戦後、栽培指導や集荷、種子供給の簡便さから品種の多様性は切り捨てられ、「奨励品種」に統一されます。さらに供給過剰時代には画一的な「売れる品種」が市場を席巻するようになりました。

 現在、栽培品種の数は水稲ウルチ米だけでも160品種以上といわれますが、作付面積ではコシヒカリを頂点とする上位十傑で6割以上になります。しかもそのほとんどが一番人気のコシヒカリと何らかの類縁関係を持っています。コシヒカリは味の良さや収穫の安定性に加えて、環境適応性に優れ、暖地、寒地を問わずに栽培できますから、じつに30府県で銘柄に指定され、全国の作付面積は4割弱におよび、県によっては7割、市町村によっては8割を超えます。驚くほどの寡占化です。

 佐藤氏によれば、稲の品種の寿命は100年もありません。コシヒカリが現れてからすでに50年。数十年後にはコシヒカリは確実に消えています。けれども次を狙う「キラッと光る品種」がいっこうに現れません。育種家はコシヒカリ以上の新品種をイメージできません。「グルメ」を自認する消費者が米の味を識別できず、料理とは無関係にブランド米ばかりを追い求めています。その結果、コシヒカリの独り勝ちに拍車がかかり、栽培不適地にまで作付けされますから、凶作の危険度が高まらないわけはありません。事実、平成5年の冷夏、16年の台風禍で、その心配は現実となっています。

 佐藤氏は「多様性を喪失し、生命力を失っている日本の稲作を蘇らせるためには、地域性を大切にした多様性豊かな環境の回復が必要だが、イセヒカリならできる」と言い切ります。熱帯ジャポニカの遺伝子を持ち、高い確率で新品種を自分で生み出す特異な遺伝形質(佐藤氏は「トランスポゾン=動く遺伝子」とみている)を有するイセヒカリこそコシヒカリ後の時代に生き残る唯一の米と確信しているのです。

 一方、イセヒカリ会は、イセヒカリが自家用縁故米の枠を抜け出し得ないなら、今後の課題として、派生的に生まれた変種の系統を品種登録にまで仕上げることが避けられないのではないか、と検討を始めました。

(斎藤吉久「知られざる『次代の稲』イセヒカリ」より抜粋)
by classicfarm | 2010-05-26 07:56 | Classic Farm Diary
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